遠距離介護体験記

田舎で独居の母が90歳になったのを機に退職し、8年弱遠距離介護をした体験談(姉弟等にメール連絡した内容)及び母亡き後の家、田畑、お墓について

腰の痛みから動作が鈍化、そんな中姉の行動に疑問が

お婆ちゃんは、腰の痛みから相当動きが鈍くなっているにも関わらず、これ位ならこのまま今まで通り、この家で頑張りたいと言っている。そんな中、姉の行動に「どうして」と思わざるを得ないことが時々起こり始めた。

 

四日目(2011年9月11日) 

燃料がないものだから、洗濯、掃除をした位で、終日休みです。 

そこでお婆ちゃんの状態をお話します。 

以前と変わったのは、やはり寝起き、歩行です。昨日医者に診て貰い薬を飲み始めてから痛みが少し和らいだようだけれど、動作は相変わらずです。7月と比べると、その半分位の動きです。動けない事はないけれど、寝たきりでいた方が楽だろうと思う感じです。 

今日は食事に出てきて、居間で昼までゆっくりし、昼食後運動を兼ねて約150mにある小売店に頭に着けるネットを買いに行って来ましたが、残念ながらそこは休みで不在とのこと。でも運動出来たので良かったとしてその後も居間でゆっくりしています。

本人は動ける間は動かなければと言っていますが、やはり動くのが大変な状態です。 

今後の事としては、「今まで70年位ここで気楽に生活をしてきているので、状況が許す限りこのままここで生活をしたい」との事。とは言いながら自分一人で生活を出来なくなれば徐々に変えていかざるを得ない事は認識をしている。でも今位の程度であれば未だ一人で頑張りたいとの事。

 口は相変わらず冗談を含め問題ないが、記憶が飛ぶのは相変わらず。と言う事で大きな変化なし。

 五日目(2011年9月12日) 

朝食後缶を捨てて、帰りに農協の倉庫を確認したら燃料があったので受領してきた。よって今日は午前、午後併せて3時間位草刈りをした。その間お婆ちゃんは洗濯をしてくれていた。午後買い物に行き食料品を調達。 

①草刈りは順調に進み、学校の下の田と納屋の周辺は終了した。明日は家の下の田を終了させる予定。

②お婆ちゃんは頑張っていつの間にか洗濯をしてくれていた。

でも最近は食事の準備・片付けは一切しないところを見るとやはり相当きついのだと思う。

 ③買い物ではやわらかめの甘い物(パン・ビスケット・プリン)とミカン・豆腐等食べやすいものを買って来た。三宮であった高校の同級生が大豆の煮た昆布を混ぜたようなものを何種類か土産としてくれたが、お婆ちゃんにピッタリ合うらしく、喜んで食べている。 

と言う事でここ数日は草刈りで一汗かきます。

六日目(2011年9月13日) 

予定通り家の下の田は終わりました。暑いのでゆっくりやっています。

 一寸変わった事で、再度姉が昨夜急遽来た。近畿産業銀行の解約手続きで書類上不安になり確認に来たとの事。

私が近畿産業銀行に電話をして確認をし、書類作成の上、証明資料(保険証)を持たせて昼過ぎに帰宅。交通費だけでも利息を上回りそう。 

それから介護保険の関係の方が金曜日の9時半に来られるとの事。去年の手続きの繰り返しです。

 七日目(2011年9月14日) 

毎日暑い日が続いています。草刈りも終盤に差し掛かりました。家の前の田を半分ほど刈れば終了です。 午前・午後約1時間半、合計3時間位が草刈りで後は洗濯とか掃除をゆっくりやっています。

 お婆ちゃんは相変わらず動きが不自由で可哀想ですが、間に合わせに作った杖を頼りにゆっくり歩いています。冗談口は相変わらずたたいていますので、気持ちは落ち込んでいないようです。

八日目(2011年9月15日) 

午後3時ピッタリに草刈りが終了しました。引き続き学校の下の田の刈った草を燃やして、休憩後家の下の田を燃やそうと帰ったところ、姉から電話があり、近畿産業銀行の印鑑が違うとのこと。結局作業は中止して、銀行とのやり取りで本日は終了。 

さて銀行の件は、姉に任せておくとまた何か問題を起こしそうなので、こちらで直接確認をし、印鑑の紛失手続きをし、手続きが終了後姉に連絡をすることとした。  

それにしても、姉のやっていることは、ほんの少し利息が良いからとお婆ちゃんに話を持ちかけ、解約をするとなると訳が分からなくなり、結局私が後始末をしなければならない。善意から発したこととは言え、全般を考えない行動を見ていると、「木を見て森を見ず」と言うか色々思い当たる節があり、本当に呆れる。 

と言う事で今日の最後は愚痴になりましたが、ご容赦を。

 

本日は以上です。