遠距離介護体験記

田舎で独居の母が90歳になったのを機に退職し、8年弱遠距離介護をした体験談(姉弟等にメール連絡した内容)及び母亡き後の家、田畑、お墓について

悪かった腰も回復傾向

お婆ちゃんの腰のケアーと金銭管理が主でした。

 

 九日目(2011年9月16日) 

午前中は天候が良かったので洗濯をし、ざっと掃除をして9時半から約1時間介護の審査を受けました。結果は約3週間後に文書連絡があるとのこと。

 午後は天候が急変し雨となったので、洗濯ものを取り入れ、その後買い物とゆっくりした時間を過ごしました。

これからは何という事がない日々が続きます。何かあればご連絡と言う事で暫く連絡は休みます。

10日目(2011年9月17日)

弟夫婦へのお礼 

ご丁寧に立派なお菓子とビール(丁度買い出しを考えていたところです。)まで有難う。

夜お婆ちゃんがお礼の電話をすると言っていましたが、嬉しそうに菓子を居間に抱えて来て、仏さんに祭る前に早速御馳走になっています。 

腰を痛めてからのお婆ちゃんは、動きがめっきり鈍くなり、本当にゆっくりゆっくりとしか動けません。

時々洗濯とか昼ご飯を準備してくれますが、ここ数日は朝ご飯を作ると起きて来て、食べて居間で休憩および仮眠です。

昼になると、またご飯を食べて同じ状態です。 

先日は夕ご飯後居間で仮眠をしていて、入れ歯が取れて目が覚め、「サー寝なければ」と言う物だから、笑ってしまいました。

「お婆ちゃんこれ以上どう寝るの」と尋ねると、「寝室に行かないと」と言う事でした。 

今は、冗談も通じるし耳も目も良いし、曲がりなりにも便所・風呂等自分の事は自分でやっていますので、その辺は助かります。

ただ直近の記憶はまるで頓珍漢。91歳だからやむを得ないと思うけど。 

そんな状態だから今後の事を考えて再度介護の申請をし、認定待ちです。

また去年の二の舞になるのではと心配をしていますが・・・

十六日目(2011年9月23日)

今日は何時も殆ど寝ているお婆ちゃんがお墓参りをしました。

 腰の調子も大分良いようで、明日で医者に行って来てから丁度2週間になりますが、痛さも和らいだとのことです。多分薬の効果と何時も殆ど休んでいる状態が良いのではと思っています。 

明日で薬も切れますが、暫く様子を見ようと言う事になりました。ただ少し動くと酷く疲れるらしく、動きは以前とは比べ物にならない位弱っているようです。 

全般的に評価すると、目、耳、口は通常の人と変わりません。食べる・排便・食事・入浴も時間がかかるものの自分で出来ます。ただし直近の記憶が無いとか、同じ事を何回も話すのに加え、動きが極端に鈍く疲れやすくなっています。従って家の片付けとか食べた物の片付け等は殆どやりっ放しです。 

介護は未だ判定が出ておらず待っているところですが、普通の人と比べて弱点を補って貰えば、少しは普通の人に近い生活が出来るよと説明をしていますが、なかなか首を縦に振りません。 

と言う事で、私は散歩を兼ねて周辺を歩いたり、買い物をしたり、生け垣とか芝生の手入れ等をボチボチとやったりと言ったところです。 

二十二日目(2011年9月29日)

弟夫婦へ

お婆ちゃんは腰がすっかり良くなったようで、大根を植えなければと田を耕し始めました。

私に手伝えとのことだけれど、「農作業を手伝いに来ているのではない」と、これは拒否をしました。

「そんな事をしていると、また腰を痛めるよ」と言っているのだけれど、聞き入れません。懲りるまで放置することとしました。

取りあえずは元気になってよかったと言う事でしょう。 

さて、今は介護の判定を待っているのと、以前お婆ちゃんの預貯金の状況で、農協の他に信用組合と近畿産業銀行に預けてある資料を送ったと思いますが、それを近くの農協に全部集約する手続きをしているところです。

解約に際してはそれぞれ登録印鑑が見当たらないため、その紛失届と、本人に代わる委任状とか、本人確認資料等を銀行とやり取りしながら揃えているところです。近畿産業銀行は姉に依頼をしていましたが、話がよく理解できないのと、資料紛失(先日来た時に間違いなく渡した資料を貰っていないと主張)等があったため、自分が出向く事としました。

 と言う事で、お婆ちゃんの体は大分良くなりましたが、預金関係を単純化(数日前に数万円入りの紙袋を家の中で紛失、未だに所在不明、本人はどこかに保管したと言うが思いだせない。金銭管理についてやや不安。)しようと進めています。何れにしても、尻拭い見たいなことばかりで精神的にやや疲れ気味。

 

本日は以上です。