遠距離介護体験記

田舎で独居の母が90歳になったのを機に退職し、8年弱遠距離介護をした体験談(姉弟等にメール連絡した内容)及び母亡き後の家、田畑、お墓について

体験から学んだことのまとめ

5一周忌を終えて思ったこと

〇母とご先祖への感謝、祭祀継承者としての責任

今私がこうして居られるのも、両親が生み育てて呉れたお陰、更に言えば先祖がその時代時代の辛苦を乗り越えながら子孫を守って来たお陰だと思っています。

私で8代目に当たり十七世紀から続いていますが、過去帳及び戸籍で調べてみると先祖は小作農だったと思います。直ぐ近くに同姓の家がありそこが本家と聞いていますから、8代前にそこから分家したのでしょう。

今の田畑の状況(農地約6反)を見ると、歴史で学んだ時代推移から、朝早くから夜遅くまで家族で頑張りながら今迄やって来たのだと思います。

その様な先祖を粗末に出来る訳がありません。細部はお墓の所で述べますが、祭祀継承者である私の葛藤は母が亡くなった頃から(本当は故郷を離れた時から始まっていましたが、本人は認識していませんでした。)始まりました。

〇親戚、近所に対する感謝及び土地の風習

遠距離介護をし始めてから、如何に故郷に居る親戚・ご近所の方々とのお付き合いが大切かをより深く知りました。勿論それまでも大切だとは思っていましたが、基本的には母が対応して居りましたので、私はどちらかと言うと見聞きしていただけでした。それも詳しく分かりませんし、その土地の風習の様な事については、「そうなんだ」位の感覚でした。

しかし、遠距離介護が始まってからは、細かくは前述しましたが色々なことで大変なお世話になりました。

私の様に転勤が多い仕事とか遠くに住んでいると、土地の風習については希薄になり勝ちで、日々の生活に直接関係がないものだから余り関心がありませんでした。「郷に入っては郷に従え」の通り、良くお話を伺いながら諸々を進めるのが大切だと感じました。

〇被介護者の明るさ、楽天的なところ

 母の頑固で整理整頓の悪さには閉口しましたが、性格の明るさ、冗談の通ずるところは遠距離介護のモチベーション維持に大いに役立ったと思います。何時も悲観的に落ち込んでおられると介護する方も辛くなりますが、逆の場合は色々前向きに検討をする事が出来るのではないでしょうか。自分が介護を受けるようになれば参考にしたいとさえ思いました。

〇葬儀場の事前準備、葬儀に対する自分の考え方

 前述したとおり約1年前に、偶然葬儀場が気になり色々決めて置いて本当に良かったと思いました。事があってから決め始めると時間が無いため焦るし必ずしも良い条件で諸々決めるとは限りません。

一例として我が家の様に遠距離に親戚がある場合、宿泊出来る場所があるかどうかはその後の動きに大きく影響します。もし無かった場合は、色々なことにロスが生じたでしょうし、参列してくれた方々にも迷惑が掛かったでしょう。

 次いで家族葬にしたのは、私が地元に居ませんから来て頂いても相手方に不幸があった場合等参列出来ませんし、香典を遠慮したのは、参列して頂く皆さんには母が大変お世話になった方ばかりですからこれまでの御礼の意味合いが強かったからです。この辺はそのまま故郷に残っていれば、今後の事もあるでしょうし事情も違いますから、対応も変わると思います。

上記の様にしたものですから、葬儀が終わってから「亡くなられたのを知らなかったが、生前大変お世話になったので」との事で、わざわざ実家にご挨拶にお見えになった方がいらっしゃいました。そう言う方には事情をお話しご理解を頂いた上でお線香をあげて頂きました。

〇経済

 経済的な事は結構大切な話だと思います。

もし母に預金が無く、私の往復交通費(最初数年は自己負担)とか、故郷での滞在費とか、場合によっては母の生活費・治療費と言う事になると、私の家族にも迷惑を掛けるし、姉・弟とも色々揉める原因になったのではないかと思います。

又介護を担当している親族にとっての精神的負担は相当なものとなると思います。

幸い葬儀費用も含めそのようなことがありませんでしたので、そういう意味では母のケチケチした性格にある意味感謝しなければならないかも知れません。

そこで、私として今後の事を考えた時に、少なくも面倒を見てくれる人が親族であろうが何処か施設に入ろうが、経済的負担を掛けない様に備えておく必要があると思いました。と言う事で、日々節約を楽しみながらつましい毎日を送っております。

〇公的機関の活用

 親の世代では家族で最後まで面倒を見るのが当たり前でした。

 私の母も義父・義母・夫と3人の世話をして来ていますから、自分も当然家族の誰かに面倒を見て貰えると考えていたと思います。しかし今は有難いことに介護の制度があり、一人で背負いこむことはありません。母にはそのことが中々理解しても貰えませんでしたが、私は毎年支払っている介護保険の事も理解していましたから、直ぐ市の方に相談をしました。

制約はありますが、市からは可能な範囲で教えて貰えるし、又公的には無理なところは調べれば色々な補完手段があると思います。

 この度、体験してみて先ず公的機関に相談をしたことが、その後の展開で母の拒否にも拘わらず月一回の見回りに繋がり、数年後には最も適した施設の利用に結び付きました。

尚その際、気を付けなければいけないと思うのは、在りのままの状態を正直に伝える事だと思います。即ち正しい情報を共有しないと、正しい判断が出来ないからです。

〇ネットの活用

私の場合は、全くの異種業務を始めたのと同様でしたが、何か分からないこととか、確認したいことは全てネットを利用しました。

今では多分スマホで済むのでしょうが、私が持っていたのはガラケーの携帯でしたし、パソコンは以前から使用していたので慣れていたのかも知れませんがこちらの方が使い易かったです。

移動時間の確認・予約、天候・気温、介護に関する担当・内容・施設、物の購入、分からない作業のユーチューブでの確認等あげれば切りがありません。先生になったり、参考書になったり、実用書になったり、遊び相手になったり・・・でした。

〇 なんと言ってもきめの細かい施設の協力

 個々のケースは前述した通りですが、あんなに嫌がっていた母が徐々にではありますが慣れて来て、最後には笑顔で施設に出向き、皆さんと仲良く遊ぶとか食事をしている写真を見せて頂いた時は本当に感謝しましたし、嬉しく思うと共に安心しました。

 それからそこの良かったのは、公的機関ですと結構規制があり、掃除はしても雨戸の開閉は出来ない等どこか小回りの利かない部分がありましたが、そう言う事は一切なく現場の状況に応じたきめの細かいケアーをして頂けたと思います。ただし、これは地方によって差異があるかも知れません。現に私が今住んで居る所ではそう言う施設は見当たりません。

 それから、現状を出来るだけ正確に包み隠さず伝えておくことが、ケアーをして頂ける方々の対応も間違わないし、プロとして私が気付かない色々な方策を提示して頂けると思い、お世話になり始めた6月初旬にYさんに以下のファックスをしました。

ファックス内容は次回アップします。

 

本日は以上です。