遠距離介護体験記

田舎で独居の母が90歳になったのを機に退職し、8年弱遠距離介護をした体験談(姉弟等にメール連絡した内容)及び母亡き後の家、田畑、お墓について

最後に

7結び

団塊世代の我々がこれから被介護者になる事を考えると、公的介護の制度が更に充実して行くでしょうが、如何なる死に様を迎えるかを覚悟しておくことも大事だと思います。

これも、お金のある人無い人、身近にお世話をしてくれる方がいる人そうでない人、インフラが整っている場所かそうでないか等色々だと思いますが、人に頼る積りであるならばお金を貯めて置くとか、不便な所でも自然の豊かな所で過ごしたいと思うのであれば公的支援が受けられなくて命が短くなっても良いと覚悟するとか、各個人の死に方の覚悟の問題もあると思います。その覚悟なしに、自分の要求だけでインフラも含め日本全国均一に整備を要求するのは間違いだと思います。何処かでしっかり線引きをして、線からはみ出している部分は自己責任にしないと日本の経済が成り立たないでしょう。

それから、老いてくると本能的欲求は食欲と睡眠欲が主ですが、介護の方向として、本人の欲求を満たした日を一日でも多くしてやることが大切だと思います。良く平均寿命の長さを比較されていますが、それが必ずしも満足度ではないという事です。そういう観点で、私はホスピスの発想に大賛成で是非その考えを介護の世界に取り込んで欲しいと思います。

最後に、介護と言うと、被介護者が亡くなる迄が主になり勝ちですが、その後の家・お墓・田畑の管理をどうするかという問題があります。

これは、田舎に行けば行くほど、空き家・耕作放棄地が増えている原因をもっと真剣に検討しなければ益々増えるでしょう。要は仕事が無いのです。田の有効利用をしようとしても、農業以外は駄目だと言われると、遠くからでは手が出せません。何かやろうとしている人に売却しようとしても出来ません。これでは空き家・耕作放棄地が増加するだけだと思います。一律に規則で縛るのではこの解決にならないと強く思っていますので、早急の改善を期待しています。

 

以上をもって終わります。

 

補記

後で読み返していて感じましたが、一回一回完結せず続き物のごとく書いていますので、最初から読んで頂いた方が読みやすいかと思います。尚介護体験については、「体験から学んだことのまとめ」に要約しています。

 

 

 

お墓について

7お墓について

 母が亡くなった年に、遠方のお墓をどうしたものかと思っていたら、市で公営のメモリアルパークの公募があり申し込んだところ運よく当選したので、約一年後に家の近くにお墓を建てました。

 その時点で故郷のお墓はご住職に事情説明をして墓終いし、母のお骨とお墓の土を新しい墓に収めました。

お墓の土と言う事について少し説明しますと、故郷の納骨の状態が少し変わっていまして、祖父までは土葬で祖母からは火葬でしたが、土葬した所とお墓は全く違う場所(500m以上離隔)で、土葬の時はお墓にお骨が有りませんでした。祖母以降は火葬でしたが、それもお骨の一握りをさらし布に包んで納骨し、大半はご住職が持ち帰りました。お墓のお骨を収める場所も、横30㎝・奥行き15cm・高さ10cm位のスペースでとても普通の骨壺は入りません。葬儀の時は普通の骨壺で、納骨まではその骨壺を使っていましたから、その土地の風習だと思います。従いまして、お墓を開けた時は、多分祖母、父の物だと思われるお骨らしき土があっただけでした。

その様な訳で、私の場合はそんなに費用も掛かる事無く一般的な形で問題解決しましたが、実は母が無くなるより数年前から私自身の終活の一環としてお墓と戒名、位牌について色々思ったことをまとめてありました。

浅学菲才で、しかも宗教については何も分からず、友達に宗呂(御免なさい)がいるにも関わらずよく言えたものだと思う反面、やり方は違うものの先祖を思う気持ちに変わりはなく、色々な方法がある中の一案としてこれもありかと思います。

但し、故郷にそのまま住まれている方は、故郷のしきたりに合わせる必要があるでしょうし、この様な事を考える必要は無いと思います。

以下がまとめてあった内容です。

「ご先祖は、子孫の発展は望んでも困り果てることは望まないと思う。それにお墓とか仏壇等の話になると、少し変わった事をすると罰が当たると等迷信めいた事を言う人がいるが、そんなことはあり得ない。

世の中時代とともに変化するし、変わるのは当然で罰と言うのは昔の人が考えた人の道に外れたことをした際の戒めだと思う。そんなことを踏まえながらお墓、戒名、過去帳、位牌等について以下のように考えた。

先ず、お墓は遠くに住んで居るとその管理が大変で、近くに移せれば良いが、経済的な理由とか適地が無い等諸々の理由で移せない時にどうするかが問題。

思うに、お墓は土葬の時の名残だと思う。火葬が基本の日本でお墓は本当に必要だろうか?

そこで元々のお墓を何らかの形で整理し、今後はお墓を作るのではなく、仏壇

等、手を合わせるシンボリックな所に遺骨の一部を保管する等の方が、合理的

であり、しかも子孫に負担がないとともに何時でもお参りできるのではと考え

る。要は子孫が先祖を敬い、諸々の行いによって自分の心に響くかの問題だと

思う。

次いで戒名について考えると、何故戒名に階級があるのか、それもお金を多

く支払えばより高い位の戒名を貰えるとなると俗世の話以外の何物でもない。

しかも生前の名前を使わないのは仏教だけかも知れない。土葬をしている国

のどのお墓にも生前の名前がそのまま使われている。以上から戒名は不要だと思う。

それと戸籍がない時にお寺に戸籍代わりに過去帳を整理して貰っていたが、それも今は戸籍の方がより正確に過去をさかのぼる事が出来るので、戒名・過去帳が無くても不自由しない。

位牌についても仏壇によりリアルに仏さんを思い起こすことが出来るようにしたものだと思うので、戒名を持たない人は実名の位牌で良いのではないかと思う。

以上から私はお墓も戒名も要らない。少しの遺骨を家の何処か(仏壇が無難か)に安置(法律により遺骨はどこにでも放置することが出来ない)しそれに手を合わせて貰えれば十分。

尚私のご先祖は戒名も位牌もあるので、それはそのまま仏壇に安置すればと考えている。

ただこの考えはあくまで私個人の考えで一般的ではない。世の中で仕事に就き色々お付き合いをする際は一般的な対応をしなければならず、自分の家がどうであるかは別として常識的なやり方は覚えておいた方が良い。」

上記は、お墓を持てない前提で母が亡くなる数年前に自分の終活として考えを整理したものですが、今はお墓が出来たので、家の中に遺骨を安置する話は無くなりました。

それから戒名ですが、私がお世話になっている墓地は、約4割が戒名でなく今生の名前が刻まれています。私もその様に考えています。

宗教・宗派については、近くにご先祖と同じ宗教のお寺が何処かを探しましたが在りませんでした。

その時に驚いたのが、真言宗にも13の派があり私の家は高野山派で「南無大師遍照金剛」と唱えていましたが、派によって「南無阿弥陀仏」と唱えるとの事でした。どういう事なのでしょうかね。

昔からの場所に住んで居れば、宗教についても勝手なことはとても出来ませんが、現在は周りの事を気にすることも無く自分の考えだけで決めることが出来ますので、ご先祖が祀っていた宗教・宗派が近くに無く、宗教・宗派に対してもこれと言った確信が無いことから、今は無宗教の状態です。

とは言うものの、毎朝仏壇に手を合わせ、月一回のお墓参りはやっています。

先祖がどのように思うか分かりませんが、今後諸々をどのように対応するかは勉強していきたいと思っています。

 

本日は以上です。

家・田畑について

6 家・田畑について

遠距離介護が始まって間もないころから、それまで放置してあった家、屋敷の相続登記を始めました。先ず実家に有った登記書を確認したところ、母名義の90㎡の田と預貯金以外は全部父名義のままでした。更に家の建っている場所は農地のままでした。

それまで法務局とは全く無縁でしたからネットで調べながら遺産分割協議書を作成し、相続権のある母・姉・弟から協議書に押印と印鑑証明書・住民票取り付けをして貰い、法務局に届け出をしました。その時父名義のままの預貯金は全部母名義に、家・納屋・宅地・田畑は私名義で申請しました。

基本的には申請通りだったのですが、法務局の方が「建物は何れ壊れるから名義変更しない方が多いですよ」と親切に教えてくれたので節約の意味もありそのままにしたのと、母名義の田は相続登記(農地は生前贈与出来ない)でないのでそのままでした。

その後納屋を解体したり、母が亡くなった後農地を相続したり、解体しなかった家・納屋の名義変更をしたり、農地を宅地に変えたりと、滅失登記、相続登記、名義変更、地目変更で姉・弟には2重3重に同様の書類の取り付けと押印をして貰いながらの手続きでした。

良い勉強になりましたが、この間次の様な事を感じました。

〇家の名義変更

空き家でそのままにして置くのは問題があると思い、売却か賃貸かを考えました。そうすると父の名義のままと言う訳に行かず、自分の名義にしておこうと思い名義変更しましたが、これが結構面倒でした。

相続した時点にさかのぼる訳ですが、その時点では母が生きていますが名義変更の時点では生きていません。そこで先ず母が亡くなった事の証明、相続した時点の遺産分割協議書の内容に間違いないことを姉・弟に証明して貰う必要がありました。法務局としても適当に済ます訳には行きませんから、全て書類で証明しなければなりません。

後で、自分が手数料を少しケチったのと、法務局の方の親切心での「建物はその内壊れるから名義変更しない方が多いでよ」の言葉を恨みました。

〇田に対する疑問

 現在は、少子高齢化が進み、地方がますます人口減少するとともに仕事も減っています。

それには色々な原因があるでしょうから、私ごときがとやかく言う積りは毛頭ありませんが、農地の取り扱いもその一部にあるのではないかと思います。

我が家の農地は、以前小さな幾つもの田に分かれていましたが、ある時税金を投入して耕作し易い大きな長方形の田に改善されました。勿論治水もしっかりしていて、コメでも野菜でも機械力で耕作できる田と変わりました。

これには自国の食料自給率維持のために、農地を守る必要があったのだと思います。従って整備された田の制約はかなり厳しく規制されていて、農業以外の事は出来ないし、持ち主が誰にでも売却することは出来ません。ここまではある程度理解出来ます。私が問題視しているのは、そこからです。

整備された田に隣接している昔ながらの小さな田でも、耕運機等が行き来できる程度の道路が間にある位の所は、税金を投入して整備された田と同様に制約があると言う事です。

以下にそのことについて、市の担当、次いで農林水産省にメールで次のように質問をしました。

「親から相続した農地(6反弱)があり、その内5反弱は土地改良事業をされた田で現在他の農家の方に貸していますが、残りの約1反は県道を挟んだ南側に位置し昔のままの田で現在遊休農地状態にあります。田のある場所は故郷○○市ですが、私は東京に住んでいて直接管理が出来ませんので、市の農地バンクに登録するとともにみどり公社からの情報を得たりしながら、遊休状態の田を何とか活用できないかと考えていますが、未だに遊休農地状態が続いています。

そこでこの度太陽光発電を設置出来ないかと市の農業委員会事務局に問い合わせたところ、第一種農地だから太陽光発電を設置出来ないと回答がありました。

以上から

1.税金を投入して改良した田とそうでない田が何故同等なのか?

農林省として優良な農地を出来るだけ多くしたいのは理解出来るが、それが為「農地の集団性の判断事例」で示しているように、結果としてかなり第一種農地に包含されてしまうようになっている。

2.農地を守るのと活用するのでは、方向が違うと思が、現況は活用を阻害していないか?

現時点で遊休農地状態にあるにも関わらず、何か他の事業をしようすると農地法(第一種農地)を理由に阻止するのは、高齢化・後継者不足に陥っている農村の現況を踏まえると益々過疎化に拍車をかけると思う。

尚農政に関しては素人の私が感じたことですので、何か見落としとか認識違いがあるかも知れません。もしこういう方法があるよと言う事でしたら是非ご教示下さい。」

 これに対する農林省担当の回答ですが、(彼も規則の中での回答しか出来ませんから止むを得ないと思いますが・・・)太陽光発電を設置するのであれば、出来ないことはなく、パネルを上げてその下で野菜等を耕作するのであれば可能との事でした。

 私としては、現地管理が出来ないものだから何か方法が無いかと悪い頭を絞りながらあれこれ考えているのですが、その後はどうしようもなく現時点では現地の方に有料で草刈りをして貰っている状況です。

多分全国で考えると、似たようなケースでそのまま遊休放棄地になっている田がかなりあるのではと思われます。

この様な田には、規制を撤廃し何か仕事に繋がるように、もっと活性化する必要があるのではないかと思っています。

過疎化しているところでは何よりも先ず仕事を増やすことを考えるのが優先すべきことではないかと思います。

 

本日は以上です。

 

介護事業所に送った情報です。

項目

状態

対策

家の中の修理、電球の交換、部屋の模様替え

出来ないし、する気もない。

 

自分が帰った時に実施

自治会活動 

数年前から免除してもらっている

隣邦の方々に感謝あるのみ

掃除

やる気がないし、しない。

自分が帰った時に実施

買い物

150m位にあるお店(日常品程度)で実施

自分が冬場時々保存の効く食物を送る等している。

散歩・外出

90歳の時は自転車に乗っていたが運動能力がメッキリ落ち、家の周り(数十m内)の草取り程度

自分が帰った時に出かけることを進めても出かけたがらない。

食事の準備・調理・片付け 

ご飯を鍋で炊くがこがすことが多い、副食は殆ど調理しない、食事後片付けるが適当。洗い物は水を掛ける程度で、洗剤を使って奇麗にはしない、また良く忘れてそのままにしている。

市の配食サービスを受けているが、それを2から3回に分けて食べている。一度には食べきらない様子。片付けはWで支援して頂けることとなった。

ごみ出し

可燃不燃の区別が適当で最近は出さない。自分が帰った時にまとめて出来るだけ奇麗にするが次回帰った時は酷い状態。

今後Wと、親戚のKさんが支援してくれるとのこと。

洗濯 

汚れれば放置しているだけでしていない。

自分が帰った時に出来るだけ実施。

爪切り

手の爪は時々切っていると思われるが、足の爪は切っていない。

手助けをしようとしても風呂上りに自分で切るとの一点張り。

預貯金の出し入れ

金銭管理

やっていない。

取り扱いも乱雑になっている様子。

今までは自分が帰った時に次回までの現金を準備していたが、今後通帳、印鑑も含め管理し、最小限の現金にしておく必要があるかもしれない。

家・庭の移動 

ゆっくりだけれど可能

 

体の向きを変える・寝返り

同上

 

入浴

うるさく言わないと入らない。理由を聞くと服の脱着が面倒とのこと。尚一カ月の水道使用量が2㎥の時あり。

自分が帰った時にうるさく督促をする。しかしそれでも数日に一度の割合。

洗髪

していないと思われる。

髪が伸びたときに自分が適当な長さに調整。

歯磨き、入れ歯の管理

寝るときは外しているが、置いた場所を忘れよく探している。

 

排泄

パンパスを使用していないが、時々漏らしている様子。使用後の便所とか、着ていた

下着の汚れからそのように考えられる。

パンパス使用を勧めているが大丈夫と言って受け付けない。

着替え

面倒そうで、かなりルーズ。又着替えた着衣の管理が出来ていない。洗濯したものもそうでないものもごっちゃ混ぜ。

自分が帰った時に匂い及び見た目で区分をして洗濯。

食事を食べる

食べることは問題ない。ただし時々食べたことを忘れるが、甘いものだと無くなるまで食べる。

この年だから好きなものを食べられるだけ食べさせている。不思議と病気にならない。

洗顔

基本的にはしていない。

濡れタオルを渡して拭くように勧めている。この度Wでも対応してくれているとのこと。

 

本日は以上です。

 

体験から学んだことのまとめ

5一周忌を終えて思ったこと

〇母とご先祖への感謝、祭祀継承者としての責任

今私がこうして居られるのも、両親が生み育てて呉れたお陰、更に言えば先祖がその時代時代の辛苦を乗り越えながら子孫を守って来たお陰だと思っています。

私で8代目に当たり十七世紀から続いていますが、過去帳及び戸籍で調べてみると先祖は小作農だったと思います。直ぐ近くに同姓の家がありそこが本家と聞いていますから、8代前にそこから分家したのでしょう。

今の田畑の状況(農地約6反)を見ると、歴史で学んだ時代推移から、朝早くから夜遅くまで家族で頑張りながら今迄やって来たのだと思います。

その様な先祖を粗末に出来る訳がありません。細部はお墓の所で述べますが、祭祀継承者である私の葛藤は母が亡くなった頃から(本当は故郷を離れた時から始まっていましたが、本人は認識していませんでした。)始まりました。

〇親戚、近所に対する感謝及び土地の風習

遠距離介護をし始めてから、如何に故郷に居る親戚・ご近所の方々とのお付き合いが大切かをより深く知りました。勿論それまでも大切だとは思っていましたが、基本的には母が対応して居りましたので、私はどちらかと言うと見聞きしていただけでした。それも詳しく分かりませんし、その土地の風習の様な事については、「そうなんだ」位の感覚でした。

しかし、遠距離介護が始まってからは、細かくは前述しましたが色々なことで大変なお世話になりました。

私の様に転勤が多い仕事とか遠くに住んでいると、土地の風習については希薄になり勝ちで、日々の生活に直接関係がないものだから余り関心がありませんでした。「郷に入っては郷に従え」の通り、良くお話を伺いながら諸々を進めるのが大切だと感じました。

〇被介護者の明るさ、楽天的なところ

 母の頑固で整理整頓の悪さには閉口しましたが、性格の明るさ、冗談の通ずるところは遠距離介護のモチベーション維持に大いに役立ったと思います。何時も悲観的に落ち込んでおられると介護する方も辛くなりますが、逆の場合は色々前向きに検討をする事が出来るのではないでしょうか。自分が介護を受けるようになれば参考にしたいとさえ思いました。

〇葬儀場の事前準備、葬儀に対する自分の考え方

 前述したとおり約1年前に、偶然葬儀場が気になり色々決めて置いて本当に良かったと思いました。事があってから決め始めると時間が無いため焦るし必ずしも良い条件で諸々決めるとは限りません。

一例として我が家の様に遠距離に親戚がある場合、宿泊出来る場所があるかどうかはその後の動きに大きく影響します。もし無かった場合は、色々なことにロスが生じたでしょうし、参列してくれた方々にも迷惑が掛かったでしょう。

 次いで家族葬にしたのは、私が地元に居ませんから来て頂いても相手方に不幸があった場合等参列出来ませんし、香典を遠慮したのは、参列して頂く皆さんには母が大変お世話になった方ばかりですからこれまでの御礼の意味合いが強かったからです。この辺はそのまま故郷に残っていれば、今後の事もあるでしょうし事情も違いますから、対応も変わると思います。

上記の様にしたものですから、葬儀が終わってから「亡くなられたのを知らなかったが、生前大変お世話になったので」との事で、わざわざ実家にご挨拶にお見えになった方がいらっしゃいました。そう言う方には事情をお話しご理解を頂いた上でお線香をあげて頂きました。

〇経済

 経済的な事は結構大切な話だと思います。

もし母に預金が無く、私の往復交通費(最初数年は自己負担)とか、故郷での滞在費とか、場合によっては母の生活費・治療費と言う事になると、私の家族にも迷惑を掛けるし、姉・弟とも色々揉める原因になったのではないかと思います。

又介護を担当している親族にとっての精神的負担は相当なものとなると思います。

幸い葬儀費用も含めそのようなことがありませんでしたので、そういう意味では母のケチケチした性格にある意味感謝しなければならないかも知れません。

そこで、私として今後の事を考えた時に、少なくも面倒を見てくれる人が親族であろうが何処か施設に入ろうが、経済的負担を掛けない様に備えておく必要があると思いました。と言う事で、日々節約を楽しみながらつましい毎日を送っております。

〇公的機関の活用

 親の世代では家族で最後まで面倒を見るのが当たり前でした。

 私の母も義父・義母・夫と3人の世話をして来ていますから、自分も当然家族の誰かに面倒を見て貰えると考えていたと思います。しかし今は有難いことに介護の制度があり、一人で背負いこむことはありません。母にはそのことが中々理解しても貰えませんでしたが、私は毎年支払っている介護保険の事も理解していましたから、直ぐ市の方に相談をしました。

制約はありますが、市からは可能な範囲で教えて貰えるし、又公的には無理なところは調べれば色々な補完手段があると思います。

 この度、体験してみて先ず公的機関に相談をしたことが、その後の展開で母の拒否にも拘わらず月一回の見回りに繋がり、数年後には最も適した施設の利用に結び付きました。

尚その際、気を付けなければいけないと思うのは、在りのままの状態を正直に伝える事だと思います。即ち正しい情報を共有しないと、正しい判断が出来ないからです。

〇ネットの活用

私の場合は、全くの異種業務を始めたのと同様でしたが、何か分からないこととか、確認したいことは全てネットを利用しました。

今では多分スマホで済むのでしょうが、私が持っていたのはガラケーの携帯でしたし、パソコンは以前から使用していたので慣れていたのかも知れませんがこちらの方が使い易かったです。

移動時間の確認・予約、天候・気温、介護に関する担当・内容・施設、物の購入、分からない作業のユーチューブでの確認等あげれば切りがありません。先生になったり、参考書になったり、実用書になったり、遊び相手になったり・・・でした。

〇 なんと言ってもきめの細かい施設の協力

 個々のケースは前述した通りですが、あんなに嫌がっていた母が徐々にではありますが慣れて来て、最後には笑顔で施設に出向き、皆さんと仲良く遊ぶとか食事をしている写真を見せて頂いた時は本当に感謝しましたし、嬉しく思うと共に安心しました。

 それからそこの良かったのは、公的機関ですと結構規制があり、掃除はしても雨戸の開閉は出来ない等どこか小回りの利かない部分がありましたが、そう言う事は一切なく現場の状況に応じたきめの細かいケアーをして頂けたと思います。ただし、これは地方によって差異があるかも知れません。現に私が今住んで居る所ではそう言う施設は見当たりません。

 それから、現状を出来るだけ正確に包み隠さず伝えておくことが、ケアーをして頂ける方々の対応も間違わないし、プロとして私が気付かない色々な方策を提示して頂けると思い、お世話になり始めた6月初旬にYさんに以下のファックスをしました。

ファックス内容は次回アップします。

 

本日は以上です。

 

介護事業所には大変お世話になりましたが、本人の要望通り、自宅に居住しながらの大往生でした。

4 亡くなった時の事及びその後

 亡くなった時の事

 2017年8月11日昼前、Yさんから電話があり、「お婆ちゃんを家に迎えに行き、車でWに輸送中急に意識が無くなり、現在救急車で病院に向かっている。」との連絡が入りました。聞いた時はビックリしましたが、この様なことは初めてだし、中々しぶとい人ですからまあ大丈夫だろうと思っていました。

 30分程して再度Yさんから電話で、「病院で先生に診て貰っている。先生に代わります」との事で先生から症状の説明がありました。

「心肺停止状態で病院に運び込まれましたが、注射をしたところ心臓が動き始めた。それから救急搬送中に救急隊員が人工呼吸をしたが、その関係で肋骨が数本折れている。尚心臓は、今動いているが10分程すると停止し又注射と言う事の繰り返しになる。今後どのようにしますか?」との事でした。

 私は、一瞬色々なことを思いましたが、年齢・意識不明になる前の日々の状況・その後の事を考えた時、自然の状態がベストだと思い「注射は結構です。」と答えました。

 それから約10分後再度病院から電話があり、「今お亡くなりになられました」との事でした。急性冠症候群でした。意識不明になってから約2時間で、本人に取って痛い痒いが無い大往生だったと思います。

その後

 その時私は不思議と冷静でした。直ぐYさんに電話をし、葬儀場は以前から予定しているところがあったので、遺体をそちらに運んで頂くようにお願いをしました。

実は約一年前に、買い物に出かけている最中道路脇にある葬儀場が気になり、どの様になっているのか様子を見てみようと思い中を見せて貰いました。その後、未だ大丈夫だろうけれど何れお世話になると思い、日を改めて3カ所の葬儀場を見学し、親戚の状況・ご近所の状況・費用等を検討した上ある葬儀場に登録をしてありました。

後は、弟、父関係の従兄妹、母の実家の従兄妹、姉の子、ご近所の内それぞれ一人に連絡し、関係者に拡げて貰いました。

その後直ぐ支度をし、病弱の妻を残し東京から娘と葬儀場に向かいました。夕刻葬儀場に着いた時は、既にWにより病院から葬儀場に遺体は運び込まれていました。それまでは比較的冷静でいた私も母の死に顔を見た時は、思わず込み上げるものがありました。穏やかな顔でした。

その後葬儀場と調整しましたが、私自身は以前から家族葬で香典は遠慮することと決めていましたので、通夜の準備等諸々は葬儀場の問いに対し回答し参列する人数を言っただけで、何もしなくても全て葬儀場の方で進めて貰いました。

私は、到着する親戚・ご近所の方々と話をしたり、時間が来れば式次第通り挨拶をしたり、通夜振る舞いでの対応と順調に通夜も終わり、遠路から来た甥、自分の息子家族、娘と葬儀場で泊まりました。

翌日の告別式、火葬、精進落としも昨日同様挨拶はしたものの、後は葬儀場の担当の方の運びで順調に進み、遺骨を持って実家に帰った時は、土地の習慣に乗っ取り、遺骨を安置する床の間も葬儀場の方がしっかり飾り付けをしてくれていました。尚この間の葬儀場での受付等はご近所の方がやって呉れました。

その後私は数日間家に残り、葬儀に間に合わなかった弟家族との再会とか、今後の49日法要の調整・予約とか、私が不在間の遺骨に対するお供え等の調整(近所の親戚の方がやって下さいました。)をしました。

49日法要は、私家族・弟家族、孫でお寺をお借りして土地の慣習通り行いました。その後全員でお墓に移動して納骨をしましたが、この時も親族からの香典は遠慮しお返しもしませんでした。

一周忌も同様です。

尚、一つ特筆すべき事項があります。告別式の際、甥が要介護5の姉を車椅子で運んでくれました。その際、母の死に顔を見た姉が目を真っ赤にした事と49日法要が終わり、私が姉を見舞いに行き法要が終わった事を告げた時も同様に目を潤ませました。何も分かっていないと思っていた私に取ってこの出来事は驚くと共に痛く感激をしました

 

本日は以上です。

お盆前後に帰れなくなった時に限って

〇2017年7月22日(Wからのメール)

今晩は。遅い時間に失礼します。早速に食材を送っていただきまして有難うございます。また扇風機も使用させていただいております。〇〇様ですが本日の入浴時、陰部あたりの皮膚が少し白くなっており、様子観察をさせていただいたところ、痛みや痒み等の不快感は無く、バイタル異常もなかったので、継続して様子観察を行わせていただきます。また、リハビリパンツの残数が少なくなってきましたので、購入(18枚入りが1,650円)させていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。 

上記への返信

今晩は。早々の御連絡有難う御座います。又きめ細かいお世話に心から感謝しております。ところで、以前Yさんに相談をして特養入居を来年早々に申請することとしておりましたが、実はこちらの状況が変わり(妻の症状悪化)私も今までの様に(回数、期間)帰ることが出来なくなりました。Yさん以下Wの方々には随分お世話になりながらですが、早々に特養入居申請を出して頂きたくお願いする次第です。真に勝手なお願いですが、宜しくお願い致します。

〇2017年7月27日

8月お盆を挟んで例年の通り行く予定だったのですが、家族の健康状態がイマイチで行けそうにありません。

今後の事は分かりませんが、多分今まで通り行き来出来ないと思います。

そんなことで半年繰り上げて先日「W」を通じお婆ちゃんの特養への入所申請を送りました。何時入所になるか分かりませんが、一応そんな運びになっていると言う事をご承知下さい。

 

遠距離介護を始めてから、ほぼ毎年お盆前後は故郷に行っているにも拘らず、事情が生じ行けなくなった時に限ってこの様な事態になるとは夢にも思っていませんでしたが、7月27日が、母が生きている時の皆さんとの最後のやり取りとなりました。

 

本日は以上です。