遠距離介護体験記

田舎で独居の母が90歳になったのを機に退職し、8年弱遠距離介護をした体験談(姉弟等にメール連絡した内容)及び母亡き後の家、田畑、お墓について

人間として道を踏み外さないように戒めとして活用することは大切

お婆ちゃんの信仰心は大したものだと思うけれど、私とはどこか違うと感じました。

 

33日目(2010年8月14日)

今日は午前中お婆ちゃんとお墓に行き、午後親戚にお線香をあげて来て終了です。

①お墓

自分の家のお墓だけと思っていたら、親戚、近所のおばさんにも同じように念仏を唱えて線香あげました。お世話になった方に対する感謝でしょうね。

帰ってから時間があったので、お婆ちゃんが焼き残していたゴミを焼却。

②親戚

午後スーパーでお供物を買い、お婆ちゃんの亡き弟の家と両親の家に行ってきました。

弟の家は昨日白アリが出たとかで、息子が畳を外に出して床をはずし、消毒して白アリ除けの塗料を塗っている最中でした。運悪く仏壇の前もめくり上げられ普通であれば遠くで合掌して帰るかと思いきや、板の外された骨だけになった床を「手を持って連れて行け」とそろりそろりと仏壇まで行って普通通り御リンを鳴らし念仏です。それを見た甥が痛く感動をしていました。

お婆ちゃんの実家に行った際、お婆ちゃんの兄(若くして死亡)の写真を始めて見ましたが、自分になんとなく共通点があるような感じを受けました。ご先祖をたどると結構「あれ」と思う事があるのでしょうね。

 ③その他

一昨日ネズミ一匹の話をしましたが、今朝も同様にまた捕獲しました。

冷蔵庫の上に神棚がありますが、そこのご飯が無くなっているとのお婆ちゃんの申し出があったので、ネズミ捕獲用の粘着板をセットして置きましたらまんまと引っ掛かったと言う事です。

 今日はこれから木でも少し伐採と思ったのですが、午後から雨が降り始めましたので休養します。

 34日目(2010年8月15日)                                               

今日はお盆と言う事でお婆ちゃんは朝からあれやこれやと気を揉んでいました。だから何時もの片付けは「仏さんが嫌うから止めるように」と言われましたが、親不孝者の息子は「罰が当たるのであれば当ててみろ」と構わず片付けをしました。

先ずお婆ちゃんは朝から「切り混ぜ」を造りお墓へ、午後は「送り団子」を造り仏さんへの奉公の一日でしたが、息子は何時もお婆ちゃんがしている洗濯、次いでお婆ちゃんと墓へ同行、帰ってからは縁側(広い方の廊下)の掃除、お婆ちゃんの部屋のタンス一部片付け、木の伐採でした。

①洗濯は何時もお婆ちゃんがやっているのですが、今日はお盆とのことで忙しいお婆ちゃんに代わり私が残していた物も含め2回に分けてしました。

②墓に同行

切り混ぜ(ナスとキュウリを小さく刻んだ物を混ぜたもの)を持ってお墓に行くとのこと。私が「お盆前を含め、何回も行っているから今日はお婆ちゃんが一人で行って来い」と言った所、「昨日のようにお寺まで車で送ってくれると助かる」とのこと。お寺まで行ってお墓に行かないと言う事もなかろうと思い同行。なんだかこの地域でやっている変わった風習。

③縁側廊下の掃除

ここも天井を含め掃除しましたが、父が大工で、自分で建てた家だから余計造りが複雑で掃除も結構面倒でした。色々凝って造るのは良いけど、後々の管理を考えると単純なのもまた良いと思う。

④お婆ちゃんの部屋のタンスの引き出し一部片付け。

祖母が嫁入り道具として持って来たタンスの天袋部分と引き出しの一部を片付けました。随分古い色々な物が出てきました。父の古い通帳(農協の物で多分死んでいると思われるが、通帳そのものは生きた状態であり、20万円位残高あり)、母の国債の証券(200万円で証券そのものは生きているけど、10年以上も経っており多分何らかの手続きをしていると思われる。)弟と私の小学校から中学校の通信簿、皆さんの手紙(結婚当初から10年位までの物)、写真等、それからなんと言っても凄いのがネズミの骨だけのミイラ、それも2匹。流石のお婆ちゃんも驚いたけれど言った言葉が「1度あることは2度ある、2度あることは3度ある」と。一度もあって欲しくない。

⑤暑かったけれど、最後の仕上げはやはりドッと汗を流し終わるため木の伐

採でした。

⑥お婆ちゃんの信仰について感じること。

何を於いても神様・仏様・御先祖様。動くのも大変なのに一生懸命努めようとする。その姿勢には敬服するが、自分は何かが間違っていると思っています。お婆ちゃんに話すと「昔からこうしている」とか、「言われたことに逆らってはいけない」とか、理屈の通らない事をいかにも正しいと言わんばかりですが、多分神仏を信じ込んでいる事と自分自身のやって来たことを正当化しているからだと思っています。

信仰に関することですからこれ以上言う事はありませんが、私は先ず自分の生活を守ることが第一で余裕があって初めて仏様・御先祖様に手をあわせ、感謝をし、今の自分たちの心の安寧を求めると言うのが妥当なところだと思っています。お婆ちゃんは「そんなことをしたら罰が当たる」と良く言いますが、今日もお墓参りをしていた家族が交通事故で二人亡くなっています。世の中に悪行をしていても罰が当っていない人は一杯います。何も悪いことをしていなくても不幸にして事故にあう事も一杯あります

ただ、人間自分に甘く、強いようで弱いのが常。よって宗教にしろ、御先祖様に問いかけるにしろ、人間として道を踏み外さないように戒めとして活用することは大切だと思っています。

それらのことを承知したうえでお坊さんの言葉にしても、宗教本にしても自分の人生を深めるために参考にすれば良いと思います。

と言う事で今日は少し長くなりましたが、お盆と言う事で少し考えてみました。

 

本日は以上です。