遠距離介護体験記

田舎で独居の母が90歳になったのを機に退職し、8年弱遠距離介護をした体験談(姉弟等にメール連絡した内容)及び母亡き後の家、田畑、お墓について

「河原乞食でも跨いで通るよ」と言ったら、「そうだよね、でも取って置く」

今まで表題の精神で来たのでしょう。戦前戦後の大変な時期に嫁ぎ先の両親・夫・夫の兄弟姉妹と同居しながら田舎で農家の主婦をしつつ子供を育てて来た苦労は多分今の人には分からないかも知れない。そんなことを思いつつも自分自身も故郷に帰ると浦島太郎の様な存在でした。

 

29日目(2010年8月10日)

今日は曇っていたので、昨日の続きの剪定と庭の芝刈りを終了した。並行してお婆ちゃんの押入れの横の部屋の整理と他の部屋のサッシの張り替えでした。

 ①剪定等

家側・石垣の上・田んぼ側の三方向から剪定した。まあまあの出来栄えだと思っています。芝刈りは電動だからすぐに終了。

②お婆ちゃんの部屋

予感通り、昭和48年1月22日の新聞を敷いて収納してあった引き出しがあり、そこには昭和初期から終戦にかけて着ていたのであろう着物とかそれに類する物が出てきた。

我々にとっては貴重品ではないけれど、本人にとっては多分思い出の品なのでしょう。でも「余り酷いものは捨てようね」と言うことで整理した。結果8段の整理箱の2段が空白になり、四分の一が空いた計算です。でも整理した後はお婆ちゃん本人が気持ち良さそうだった。多分気になっていたけどそのままにしていたからでしょう

③サッシは2枚、業者委託で張り替えた。

お婆ちゃんの部屋のサッシは破れていなかったので、洗った。

④その他

・サッシの業者は自分が中学生のころ通学した経路上にあった。

サッシを運びながら昔の通学路が懐かしかったが、一部の通学路が無くなり別経路になっているのを見て時代の移り変わりを感じた

・お婆ちゃんの甥が午後30分位訪問してくれた。お盆にはお線香をあげに行ってこようと思っています。

・法務局から電話があり、一か所だけ数字に誤りがあり、それを訂正してくれれば終了とのこと。今は取り込んでいるので後ほど折を見て出向くこととした。

30日目(2010年8月11日) 

明日介護関係の方の訪問があるため、少し家の中をこざっぱりしようと思い、それに一日を予定していたが、9時頃には終わり、その後家の周りのゴミ集めとか、お婆ちゃんのJA貯金の継続手続きをしたが、それでも時間があったので、お婆ちゃんの部屋の整理、買い物等でした。

①明日の準備 

準備と言っても、お婆ちゃんの部屋の整理をしたり、全般的に掃除機をかけたりだから直ぐ終了した。

②JAの定期 

継続手続きに行ったが、届け出印が違うと言うことで家に帰りお婆ちゃんに話したが、印鑑は5つあったものの当該印は結局見当たらず、当分そのままにしておくこととなった。今まで分からないままになっているものは郵便局の定期(残額があるのかどうかは不明)、JAの届け出印、JA出資証券(2枚は確認)です

 ③お婆ちゃんの部屋

昨日取り出した段ボール箱の整理でした。かなり古いしかも色あせた物を捨てようと思い、お婆ちゃんに「河原乞食でも跨いで通るよ」と言ったら、「そうだよね、でも取って置く」とのこと。笑うよりありません。そんな調子で片付けは親子漫才のような感じ。

④その他

お婆ちゃんは新聞を見るなり、今日夕方7時半から氷川きよしの歌番組があると朝から楽しみにしている。起きていることやら眠っていることやら。

 

本日は以上です。