遠距離介護体験記

田舎で独居の母が90歳になったのを機に退職し、8年弱遠距離介護をした体験談(姉弟等にメール連絡した内容)及び母亡き後の家、田畑、お墓について

介護事業所と調整結果、特養に入居申請することとしました。

八年目4回目

二日目(2017年6月2日)

Wのお蔭で、着いた直後も家の中は片付いているので、買い物に出かけたり、自分の片付けをしたりで特にバタバタはしませんでした。

お婆ちゃんも思いの外元気で少し太ったとのことで、どうやら100歳まで行きそうな感じです。

今日は天候も良く予定通り草刈りでした。

私も今年の7月に71歳になることから今迄と違い、如何に早く効率良くではなく、如何に疲れを残さず効率良くと言う事でやっています。

五日目(2017年6月5日)

天候にも恵まれ、今日昼草刈りは終了しました。

早く効率的にではなく、疲れを残さず効率的にと思っていたにも関わらず、生まれつきのせっかちな性格のせいか、疲れを残し3日半で終了しました。

今後は刈った草の焼却とか、家の周辺(生垣等)の整備、Wとの調整、お墓参り等です。

八日目(2017年6月8日)

Wとの調整結果は、来年早い時期に特養に入居申請をする事にしました。

申請には至急と普通とがあり、普通の場合順番が来てもパスも可能と言うことで、普通の申請をする事にしました。

ところで家周辺の田について、草刈りも大変だから太陽光発電会社に売却するか貸し出すかについて検討を始めました。

十日目(2017年6月10日)

こちらは1日から今まで一日雨が降っただけで極めて良い天候に恵まれています。

そこで外仕事が順調に進んだので、暇つぶしに、現況・お婆ちゃんの件・姉の件・その他について連絡します。

①現況

草刈り、草の焼却、庭の剪定、お墓参り、家の夏への模様替え、お婆ちゃんの使っていた布団、シーツ、毛布、こたつ掛け等の洗濯、家の掃除は思いの外順調に運びました。

お墓参りではお墓を掃除している際に、赤マムシが居てこちらを睨んでいたので、捕まえて調理して食べようかと一瞬思いましたが、お墓で出くわしたので流石に殺生は問題かと思い、追っ払いました。

②お婆ちゃんの件

Wと本音で話し合い、来年早い時期に特養入所を申請する事としました。この一年安い経費で本当に良くやってくれたので経費的に少しでもお返しをしたいと思い、そのようにしました。尚申請の際には以前連絡した通り普通で申請をし、お婆ちゃんの状況私の状況等総合的に考え、大丈夫そうであればパスをする事としました。

尚今月から月・水・土はデーサービスを、後は朝夕Wが見回りに来てくれ、顔拭きとか、ポータブルトイレの手入れとか汚れたシーツの交換、洗濯等と、私がWに送っておいた保存食品(約一カ月に一度送付)を適度に出してくれています。昼食はデーに行かない日は社協と宅配の弁当が来るようになっています。

③姉の件

甥・姪の頑張りで13日に近くの老健に入所の運びとなりました。その後の事は未だ分かりませんが、何れ近くの施設のお世話になるのだと思います。二人にとっては何かあれば神戸までと言う今までの苦労を思うと随分違うと自分としても喜んでいます。

そこで姉に会ってから帰ろうと思い、14日に帰る事にしました。

④その他

実は松の剪定をしてくれていた業者が2年前から来なくなり(理由不明)、相当酷い状況になっていました。以前弟から「松の剪定だけはしない方が良い」と言われけれどこのままだとどうしようもないと思い、枯れても良いと覚悟してユーチューブでやり方を勉強し、時間もあったので2日掛けてやりました。初めてのお使いではなく、70歳になって初めての剪定でした。

十二日目(2017年6月12日)

便所の裏をそのままにしておくのは嫌だったので、小雨の中家にあった波板3枚と新たに買ってきた波板一枚で補強しました。

家にあった波板と同じ色のものはなく、止む無く透明の波板を買って来て補強しました。見た目よりも機能強化を重視しました。

後は解体した納屋の滅失登記だけです。

それが終われば水曜日頃に帰ろうかと思っています。

十四日目(2017年6月14日)

昨日姉に会って来ました。

甥・姪が神戸の施設まで迎えに行き、丁度11時頃今度お世話になる病院に着きました。

寝たきりと聞いていたので、相当弱っているのかと思っていましたが血色も良く、大きな声で童謡を歌っていました。ただ認知症は少し進んだようで、「誰だか分かるか」と聞いたら「大体分かる」との回答があっただけで分からない様子でした。

姪の話だと「内臓は全く悪いところはない」とのこと。何故立てないのか不思議です。バランス感覚が無くなったのか、脳に何か支障があるのか・・・

それは今回移って来たケアホームで徐々に解明されるでしょう。

場所的には広々としていて開放感のある2階の一角にある個室でした。

いわゆる老健とは違い、何か大変な怪我とか病気でこの施設では対応の出来ない状態が生じない限り、何時までも居住することが出来るとの事で一安心と言ったところです。

お婆ちゃんは大きな変化はありませんが、動くと直ぐ肩で息をするようになりました。大体5mから10mで息が切れて、一休みです。もう少しすればいよいよ施設入所についても、本人が認めるでしょう。

と言ったところで今回の任務終了に付き本日夕方東京着の予定で帰ります。

 

本日は以上です。

要介護3と認定

要介護3の認定を受け、今後を検討し始めました。

 

三回目4日目(2017年4月5日)

草はまだそんなに生えていなく、今回はパスすることとしました。

ヤクルト、宅配弁当の支払いも終え、特別給付金の手続きもして来ました。

後は明日介護認定員の訪問対応とWとの調整、お婆ちゃんの寝具、着替えの洗濯諸準備、家の清掃と言ったところです。

お婆ちゃんは思いの外元気で、骨折の影響も殆どありません。

Wのお世話になってから衛生状態も食事状況も良いようで、それなりに生活しています。

と言うことで週末帰ることとしました。

〇2017年5月1日

お婆ちゃんの介護認定結果が届き、要介護3でした。

これで一応特養に入る資格が出来た訳ですが、お婆ちゃんは嫌がっている(最初は弁当を取るのも嫌っていたし、Wにお世話になるのも嫌っていたけれど、今では本当に良かったと言っている。)ので、Wと調整をしながらどのように持っていくかを考えなければと思っています。

特養は多分空きがないだろうから取り敢えず申し込みをしておいて時期を待ちながらボチボチ慣らして行き、折を見て騙してでも連れて行くのが良いのかな~と思っています。

〇2017年5月29日 

件名(6月1日故郷へ)の通り行くことにしました。

今回は何時もの草刈り・環境の整備の他、お婆ちゃんが要介護3になって初めてだから、お世話になっているWと今後について良く調整をしたいと思っています。

私としては出来るだけ早く特養に入って欲しい(歳をとると家の後始末が段々大変になる)と思っていますが、受け入れ先の状況、今お世話になっているWの状況(介護度が上がれば収入が増える仕組み)、お婆ちゃんの気持ち等を踏まえ、私の心情を正直に話し検討をして貰う積りです。

 

本日は以上です。

 

 

右上腕部が骨折

骨折していましたが、結果骨折部分のズレもなく、時期相当に回復しているとの事でした。

 

二回目1日目(2017年2月20日

皆さんには、余分な心配を掛けたくなかったのでお伝えしませんでしたが、今日夕方来ました。

実は今月11日(土)にWからお婆ちゃんの右上腕部が骨折しているという連絡を受けました。

デーサービスでWに行っている際、風呂に入れようとしたら服を脱がせると痛がるし、上腕部に痣があるので医者に見せたら骨折しているとの事でした。

しかしながらギブスをしなくても三角巾をしていたら自宅療養で良いとか、自分で食事はしている等から当面様子を見ようと言う事でWにそのままお世話になっていました。

この水曜日に再度通院をすることから先生にお話を伺おうと思い来ましたが、意外と元気で主として左手でやっていますが、食事・便所等問題なくこなしている様子。

本人に聞いたら、「廊下で転んだ時だろう」と曖昧な返答でした。

「骨折をしている」と伝えても「大丈夫」の一点張りで、「明後日通院するのだよ」と言っても「行きたくない」と言っています。

さて、何と言って騙して連れていくかを考えているところです。

三日目(2017年2月22日)

受診を嫌がるお婆ちゃんを如何にして連れ出すかが一番の問題でした。

私が家を30分前に出て病院に先行し順番を取って待っている間に、Wの方に家に迎えに来て貰いWへ行くと見せかけて病院に運んで貰いました。私が居ると我儘を言って行きたがらないのでそうしました。まるで子供と同じです。帰って来たのが午後3時過ぎと丸々一日掛かりましたが、結果骨折部分のズレもなく、時期相当に回復しているとの事で後は大きな変化がなければこのままで自宅、施設で腕ぶらぶら体操とか肩の上げ下げをやれば良いとのことで落ち着きました。

 

本日は以上です。

八年目に入りました。

歩行が極めて鈍化したのでポータブルトイレを設置しました。

 

◎八年目(2017年)

Wのお蔭で、老化は進んでいるものの歳の割には順調でしたが、便所に行こうとしてだと思われますが廊下で倒れ右上腕部骨折をしました。

本人は大丈夫と言うものの、放って置けないので急遽様子を見に行き、病院にも付き添いましたが何とかWのお世話になりながら自宅療養で過ごせる事となりました。

 一方、介護認定結果が要介護3となり、特養入所の資格が出来ましたので諸々考慮した結果そこへの入所手続きを進める事としました。

その後Wの絶大なるケアーを受けながら、歳相応の生活をしていたところ、弟(後遺症で移動が大変な為)夫婦が8月中旬に船で回る瀬戸内海の旅に行かけ、途中ツアー旅行から離れ、お婆ちゃんの様子を伺うと言う事で出発しました。

 一寸先は闇と言いますが、世の中何が何時どの様に起きるかは正に「神のみぞ知る」です。

 弟夫婦が出かけている最中の8月11日お盆前に、Wで食事・入浴等の為迎えに来た車に乗って移動中、突然意識不明となり救急車で病院に運ばれましたがそのまま帰らぬ人となりました。

 

八年目1回目(2017年1月11日)

今まで冬場は行かなかったのですが、お婆ちゃんの老化がかなり進んだ事、Wとの調整、真冬の環境整備、湯沸かし器修理の支払い、宅配弁当の支払い等があるので処置をしに来ました。

二日目(2017年1月12日)

百聞は一見にしかずと申します。

取り敢えず今朝Wの方が見えて顔を拭いて貰った後の写真を送ります。(写真省略)

歳の割には元気ですが、食事から何から殆どこたつに入ってやっています。寒くないかと聞いても「大丈夫丁度良い」とのことです。

相変わらず昔話を何回もしたり、日にちを何回も聞いたりするのは変わりませんが、認識している情報に基づく回答はしっかりしています。

と言うことでボチボチやっている様子ですからご安心ください。

五日目(2017年1月15日)

昨日少し雪が降りこちらはかなり冷え込んでいます。

さて予定していたこと(お婆ちゃんの状態確認、Wとの調整、未払金の支払い、保存食の買い出し、清掃等)が終了しましたので、明日帰ります。

Wとは今後週2回のデーサービスにする事と、次回の介護認定手続き等について調整しました。

総じて、お婆ちゃんは年齢の割に元気ですが、認知も進み動きがかなり億劫になってきています。便所に行くにも途中で一回休憩を取ります。そこで介護の費用で隣室にポータブルトイレを設置しました。

その一方認知は進んでいるものの減らず口は相変わらずで、20年も前の話を今の話のようにするものだからそれを指摘すると「頭が若いからだ」とか、ポータブルトイレを介護保険の関係で買うと1割で買えたのが分かると、「もう一つ買おう」と言うものだから、「二つも必要ないだろう」と言うと「他の人に売るのだ」と。

 

本日は以上です。

 

 

弟との情報交換です。

現況、今後の事について弟との情報交換です。彼も色々思いがあっても体が自由に動かないための葛藤があると思い、出来るだけ気持ちを聞こうと思っています。

 

〇2016年11月11日 弟に一度会って話をと呼びかけたが、都合がつかなかったので、メールした内容

こちらは女房がかなり酷い腰痛でまるで動きはお婆ちゃんと変わらない位。

今も病院に連れて行って来たところ。あっちとこっちで老婆の面倒見。

ところで微妙な話であるため、会ってと思いましたが、日程上かなり無理がありそうなので、行くのは止めてメールで連絡します。

1、お婆ちゃん

・物忘れが酷くなって、例えば病院に行っても翌日にはケロっと忘れていると言った感じ。ただ話すことに特に問題はない。

身体的には相当きつそうで便所に行くのにも肩で息をし、時々縁側で休んでいます。耳もかなり遠くなって大きな声でゆっくり話さないと通じません。年を考えると止むを得ないと思うけれど。

・食事は11月から月・水・金は社協で、日・火・木は宅配で、土はWでとしました。

・入浴、洗濯、血圧測定、体温測定は土曜日Wに行った時にやっている。

2、金銭管理

お婆ちゃんはとても出来ないので現金約15万位を箪笥に入れてYさんには伝え対応して貰っている。

3、葬儀について

未だ早いかも知れないが、何れ来る話なので、検討中。

家族葬(近所6軒は含める)でやりたい。子供、孫、甥、姪

・香典は遠慮する。

・遠方の宿泊者は葬儀場で8名位は賄えそうだが、状況により宿泊場所を準備する。

4、その他家のこと、土地・田畑のこと、お墓の事等

以上を会ってと思ったけれど、メールで連絡します。

何か意見があれば言って欲しい。

〇2016年12月19日

Wからアンケートと一緒に今年を振り返ったWメモリーが届きました。

色々と工夫しながらお世話をして貰い本当に感謝しています。

現況は毎日朝夕見回りをして貰い、朝は蒸しタオルで顔等を拭いて貰っています。またこちらで送った食品等(バナナ、ミカン、煮豆とか饅頭・お菓子・ビスケット等)を適度に渡して貰っています(お婆ちゃんに直接送ると一度に一杯食べ散らかしてしまうので最近はWに送っています)。

それから週一回(土曜)は、Wにデーサービスでお世話になり、この時に昼食、お風呂、着替え、体温測定、血圧測定をして貰っています。

その他社協による昼食(月・水・金)、宅配による昼食(火・木・日)、配達による牛乳・ヤクルトで飲食物の補給と、お婆ちゃんの確認をしています。

お世話になる前と比べ小奇麗に暮らし始めたようです。

 

本日は以上です。

今後の見通しが立ってきました。

介護事業所のお陰でお婆ちゃんの日常生活も良い状態になっていますし、家・納屋の整理も含め色々今後の見通しも立ってきました。

 

〇2016年10月14日

何時もの通り、今回は17日夕に着くように行きます。

冬支度、草刈り、環境の整備、Wとの調整(食事、入浴、洗濯等)等です。

ところで9月に入ってからは毎週土曜日にWに行き、食事、入浴をしているとのことでした。

そんな中、8日(土)にWから電話があり、お婆ちゃんが発熱(39度、脈拍120越え)とのこと。食欲はあるが、少し咳き込んでいるとのことでした。

病院に連れて行って貰い、点滴、レントゲン写真、尿検査、血液検査等をして貰いました。

結果異常なしで、多分風邪、日曜日夕方お婆ちゃんに電話をしたら少し咳が出ていましたが、笑っていたので安心をしました。でも通院をしたこととか、点滴をしたこと等はすっかり忘れていました。

さて今回は私の娘が20日まで同行するとのことで、掃除片づけ等を手伝って貰う予定です。

七年目4回目

一日目(2016年10月17日)

夕方無事着きました。

取り敢えず買い物、掃除、情報収集(近所の方及びW)等何時もの通りです。

あ婆ちゃんはすっかり元気を取り戻したようで、土産に買って来たどら焼きを既に4個平らげ(他の物は隠しました)、バナナも半分食べ、牛乳もパックのまま飲んでいます。

食べること、寝ることは歳の割には「凄い」の一言、その反面忘れることも相当進んで孫(娘)が来ていることを、声がする度に(既に誰か来たのかと5回確認)確認する始末です。

周りの状況として近所の親戚が庭の芝生を刈ってくれていたり、新聞を収集日に出してくれていたりと協力してくれているし、Wの方々も色々工夫してやってくれていて助かります。

9月以降は毎週土曜日にWに行って風呂に入る等小奇麗にしている様子です。今回は散髪もしていてこざっぱりしていました。

五日目(2016年10月21日)

先ほど地震があったらしいけれど外で作業していて気が付きませんでした。学校で警報が放送されたので、家に帰ってテレビを見て分かりました。お婆ちゃんには「あれが分からなかったのか」と馬鹿にされながら。

さて作業は草刈りを午前中で終わり、周辺の補備をしているところです。

今回は孫(娘)が最初家の中のことをやってくれたので極めて順調に終了することが出来ました。

後は外回りの補備・冬支度・墓参り、今後のことについてのWとの調整です。

7年前に介護で依頼した関係者がずっと毎月一回見回りをしてくれていましたが、その方がWとも順調に行っているようなのでこれで最後としますと挨拶がありました。

その方の話だと特別介護老人ホームは介護度3以上で入れるが、お婆ちゃんの場合は、介護度以外条件は揃っているので、それまではWが在宅介護で色々工夫しながら面倒を見てくれるだろうとのことでした。

11月からWと調整をし、先ず食事については月・水・金は社会福祉から、火・木・日は宅配から、土曜日はWに行きそこで食事・入浴・洗濯等をして貰うこととしました。今回は家に入った時もおばあちゃんの部屋に来た時も異臭はありません。9月から毎週土曜日にWに行き、衛生状況も大分良いようです。またかなり抵抗がなくなってきたようです。このまますんなりとは行かないとは思いますが、出来るだけ順調に進むことを願っています。

七日目(2016年10月23日)

今日は自分で網戸の破れたのを交換し(親戚の家のも交換)奥の部屋から冬物の服に交換を始めました。今までは納屋主体であった不要物品処理を母屋の方も始めました。

今朝から大型のごみ袋で朝、昼、夕と6個、毛布2枚、布団一枚を焼却処分しました。でも散らかりようが凄いため中々進まず半分位です。

そんな午後甥が見舞い方々の訪問をしてくれました。

お婆ちゃんの好物の饅頭と私の好物のお酒を持って(今後はどうかお気遣いなく)、あまり申し訳ないので、弟に送って貰ったビールでお返し(人の褌で相撲)をしました。

それからお婆ちゃんは昨日自分が留守の間にWに行って食事・入浴をしてきたようでメモが残っていました。

依然と比べかなり小奇麗にしていて臭いもありません。

今後はこんな形で時間のある範囲で片付けをしようと思っています。

十日目(2016年10月26日)

草刈りも終わり、楽勝と思っていましたが、2件のトラブルが発生しました。

1点は湯沸かし器が昨晩から調子が悪く、現在修理申請中。明日ごろ業者が来る予定ですが、その間やかんでお湯を沸かして体を拭いています。まるでキャンプのよう。

2点目は今日午後車の前輪左がパンクしているのを発見し、予備のタイヤに入れ替えました。

本来のWとの調整は順調に運びました。

お墓も今日掃除をしてきて後程参ろうと思っています。

草のほうは一部焼却しましたが、乾きがイマイチで燃えが良くないため今少し様子を見ようと思っています。どうしても焼かなければならない物でもありませんので焼けない場合は放置します。

後はお婆ちゃんと馬鹿を言いながらぼちぼちやっています。

十三日目(2016年10月29日)

湯沸かし器の修理を除き全部終了しました。

草の焼却は最後のところがイマイチですが、特に問題はないので終了します。

湯沸かし器は私が居る間に修理できれば良いけれど、そうでない場合にも地元のお世話になっている業者に責任を持って修理して貰えるように依頼しました。

今日は、お婆ちゃんは先ほどWに出向きました。

これで今年も終了です。

仕事を辞め、お婆ちゃん支援のためこちらに来始めてから丁度7年になります。

7年前のお婆ちゃんはまだ自転車に乗っていましたが、今はほんの少し動くだけでも大変そうです。

認知も進み、運動能力も相当低下しましたが、食べることと寝ることは全く問題ありません。

今後の見通しはなかなか立ちませんが、Wのお蔭で十分とは言えないまでも取り敢えずお婆ちゃん支援体制が出来たと喜んでいます。

納屋もガラクタが一杯入っていて整理に大変でしたが、2棟解体出来、ほんの少しですが、前進したと思っています。

今後は残りの納屋と母屋の整理に入ろうと思っています。

自分の健康との競争みたいな感じもしますが、ぼちぼち出来るだけ進めようと思っています。

 

本日は以上です。

老化が更に進みましたが、介護施設のお陰で何とかなっています。

お婆ちゃんの自宅で過ごしたい思いが強いため、介護施設の方が本当に親身になって協力してくれています。

 

六日目(2016年8月13日)

相変わらず暑い。

そんな中、軽作業ではあるけれど、剪定終わりました。

それから午前中お婆ちゃんの甥で我々の従兄が「お前が来ているだろうと思って」と言って陣中見舞いに来てくれました。今年心臓の手術(弁を人工の物にしたとのこと)をしたとかで結構大変そうでした。

彼が75歳、私が70歳とお互い良い年になったと慰めやら感心やら・・・

思うに誰も年を取りたくて取っている訳ではないけれど、それなりの年になれば生き恥を晒す前にスッキリ逝きたいものだと思う。

お婆ちゃんも好んで今のような状態になっていないのは良く分かるけれど、見ていると気の毒に思うことがある。

思っても出来なくなっている、一寸した動きが面倒になっている、そもそも覚えていない(今日も自分の弟が亡くなったことを覚えていなかった)等・・・

しかしこればかりはどうしようもないこと。さてさて如何にしたものか。

十日目(2016年8月17日)

外仕事が終わってから、夏蒲団、毛布、お婆ちゃんの着衣等を洗濯しました。写真に写っている布団も酷い汚れだったのですが、洗ったら綺麗になったので、お婆ちゃんと一緒に写真に収め送ります。(写真省略)

ところで昨日珍しくWに行って風呂に入り、髪の毛を梳いて貰い、着替えて(着ていたものはWが洗濯してくれた)帰って来ました。

週一回位行ってくれると良いなと思いますが、中々行きたがりません。

昨日も騙すようにして連れて行って貰いました。

全般的にはかなり体力的に低下している様子です。便所に行くときも時々縁側の机に腰かけて一休みしてから行っているのを見かけます。

それから一日の大半が横になって寝ているか休んでいます。

でも食べることに関しては一挙に沢山は食べませんが、小刻みに四六時中食べている感があります。

十四日目(2016年8月21日)

台風の影響も考えられたので、今日帰りました。

お婆ちゃんは認知が大分進んでいて、食べる・寝る以外の日常生活はかなり無理そうです。

暫く洗濯等はしなくても良いようにしてきましたが、汚れ物をどうするかを検討中です。

Wで色々協力してくれているので本当に助かっています。

取り敢えずWの方に着替えている場所、着る物を色々置いてある場所(箪笥と、数個の段ボールに表記をして夏・冬・アイモノに区分した下着上下・靴下・上着・ズボン・防寒着・タオル等)を連絡してきました。

 

本日は以上です。