遠距離介護体験記

田舎で独居の母が90歳になったのを機に退職し、8年弱遠距離介護をした体験談(姉弟等にメール連絡した内容)及び母亡き後の家、田畑、お墓について

介護事業所には大変お世話になりましたが、本人の要望通り、自宅に居住しながらの大往生でした。

4 亡くなった時の事及びその後

 亡くなった時の事

 2017年8月11日昼前、Yさんから電話があり、「お婆ちゃんを家に迎えに行き、車でWに輸送中急に意識が無くなり、現在救急車で病院に向かっている。」との連絡が入りました。聞いた時はビックリしましたが、この様なことは初めてだし、中々しぶとい人ですからまあ大丈夫だろうと思っていました。

 30分程して再度Yさんから電話で、「病院で先生に診て貰っている。先生に代わります」との事で先生から症状の説明がありました。

「心肺停止状態で病院に運び込まれましたが、注射をしたところ心臓が動き始めた。それから救急搬送中に救急隊員が人工呼吸をしたが、その関係で肋骨が数本折れている。尚心臓は、今動いているが10分程すると停止し又注射と言う事の繰り返しになる。今後どのようにしますか?」との事でした。

 私は、一瞬色々なことを思いましたが、年齢・意識不明になる前の日々の状況・その後の事を考えた時、自然の状態がベストだと思い「注射は結構です。」と答えました。

 それから約10分後再度病院から電話があり、「今お亡くなりになられました」との事でした。急性冠症候群でした。意識不明になってから約2時間で、本人に取って痛い痒いが無い大往生だったと思います。

その後

 その時私は不思議と冷静でした。直ぐYさんに電話をし、葬儀場は以前から予定しているところがあったので、遺体をそちらに運んで頂くようにお願いをしました。

実は約一年前に、買い物に出かけている最中道路脇にある葬儀場が気になり、どの様になっているのか様子を見てみようと思い中を見せて貰いました。その後、未だ大丈夫だろうけれど何れお世話になると思い、日を改めて3カ所の葬儀場を見学し、親戚の状況・ご近所の状況・費用等を検討した上ある葬儀場に登録をしてありました。

後は、弟、父関係の従兄妹、母の実家の従兄妹、姉の子、ご近所の内それぞれ一人に連絡し、関係者に拡げて貰いました。

その後直ぐ支度をし、病弱の妻を残し東京から娘と葬儀場に向かいました。夕刻葬儀場に着いた時は、既にWにより病院から葬儀場に遺体は運び込まれていました。それまでは比較的冷静でいた私も母の死に顔を見た時は、思わず込み上げるものがありました。穏やかな顔でした。

その後葬儀場と調整しましたが、私自身は以前から家族葬で香典は遠慮することと決めていましたので、通夜の準備等諸々は葬儀場の問いに対し回答し参列する人数を言っただけで、何もしなくても全て葬儀場の方で進めて貰いました。

私は、到着する親戚・ご近所の方々と話をしたり、時間が来れば式次第通り挨拶をしたり、通夜振る舞いでの対応と順調に通夜も終わり、遠路から来た甥、自分の息子家族、娘と葬儀場で泊まりました。

翌日の告別式、火葬、精進落としも昨日同様挨拶はしたものの、後は葬儀場の担当の方の運びで順調に進み、遺骨を持って実家に帰った時は、土地の習慣に乗っ取り、遺骨を安置する床の間も葬儀場の方がしっかり飾り付けをしてくれていました。尚この間の葬儀場での受付等はご近所の方がやって呉れました。

その後私は数日間家に残り、葬儀に間に合わなかった弟家族との再会とか、今後の49日法要の調整・予約とか、私が不在間の遺骨に対するお供え等の調整(近所の親戚の方がやって下さいました。)をしました。

49日法要は、私家族・弟家族、孫でお寺をお借りして土地の慣習通り行いました。その後全員でお墓に移動して納骨をしましたが、この時も親族からの香典は遠慮しお返しもしませんでした。

一周忌も同様です。

尚、一つ特筆すべき事項があります。告別式の際、甥が要介護5の姉を車椅子で運んでくれました。その際、母の死に顔を見た姉が目を真っ赤にした事と49日法要が終わり、私が姉を見舞いに行き法要が終わった事を告げた時も同様に目を潤ませました。何も分かっていないと思っていた私に取ってこの出来事は驚くと共に痛く感激をしました

 

本日は以上です。